喜多方ラーメンとは

喜多方ラーメンは基本的には醤油味ベースと思われおりますが、各店舗によって味もスープも千差万別です。
麺も太さ、縮れ、コシも異なります。「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれる一般的な麺より水分を多く含んだ麺が大きな特徴です。

喜多方ラーメンの歴史…

喜多方ラーメンその歴史は大正末期から昭和初期にさかのぼります。
当時、市内にはラーメン店というものはありませんでしたが、中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹き屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていました。その手作り支那そばこそが90余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。

喜多方ラーメンがなぜこれほどまでに有名になったのか?
その原点は「蔵のまち喜多方」にあると言えます。古く昔から醤油、味噌、清酒の醸造業が盛んに行われており、醸造蔵が多く使われていました。蔵を撮る写真家が県内各地で行った写真展により「蔵のまち」としての知名度があがり、蔵の写真をとるための観光客が喜多方ラーメンを有名にした最初要因だったのです。
喜多方ラーメンは、基本的には醤油味がベースになっていますが、その店によって色合いや風味は千差万別。塩味、醤油味、その中間の味といった様々で、これが全く同じ店などない。

麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、一般的には麺の幅が約4mmの太麺で、水分を多く含ませじっくりねかせてつくるのですが、この麺にはコシと独特の縮れがあるのが特徴です。

栂峰渓流 黒滝飯豊山がもたらす豊かな恵み、良質な伏流水によって支えられる。喜多方市内に送られる地下水・水道水は、「平成の名水百選」に選ばれている熱塩の「栂峰渓流水」を多く含んでいるため美味しい水を使用することが出来ることです。
その水を使い麺が作られ、高品質の醤油や味噌が作られ、豚骨や魚介類また地元でとれた野菜などにより絶妙な味を持つ喜多方ラーメンとなっています。


喜多方ラーメンよもやま話

冠木雅夫氏が、毎日新聞OBの同人誌「ゆうLUCKペン」への寄稿されました「喜多方ラーメンよもやま話」をご紹介いたします。
喜多方ラーメンの起源やこれまでの喜多方ラーメンの成り立ちが、詳しく紹介されております。「喜多方ラーメンよもやま話」として別ページとして掲載しております。

喜多方ラーメン略年表

1925(大正14)
中国浙江省生まれの潘欽星氏が19歳で来日。長崎、横浜で働く
1927(昭和2)
潘氏、加納鉱山の叔父を頼って喜多方へ。屋台で支那そばを売る
1945(昭和20)
終戦後、上海食堂開店、満古登(まこと)食堂が支那そばを始める。
1947(昭和22)
蓮沼季吉氏が製麺工場開設。機械打ち縮れ麺を量産
1958(昭和33)
上海食堂で修業した坂内新吉氏が坂内食堂開店
1974(昭和49)
金田実氏の写真展「蔵のまち喜多方」を開く
1975(昭和50)
NHK新日本紀行「蔵ずまいの町」放送。蔵観光の始まり
1982(昭和57)
NHK「東北の麺」林家喜久蔵氏が喜多方ラーメンを紹介
1983(昭和58)
『るるぶ』7月号で特集「喜多方の味 ラーメン」
※観光客年間20万人(このころより市がラーメンのPR開始)
1985(昭和60)
NHK「おはようジャーナル」で「追跡・ラーメンの香り漂う蔵のまち」放送
※夕刊フジ「ラーメン繁盛記」(平成13年12月、計10回)によると、このころから喜多方ラーメンが札幌、博多に次ぐ第三のご当地ラーメンに
1987(昭和62)
東京・新橋のガード下(内幸町)に喜多方ラーメン「くら」(現・坂内)開店
1993(平成5)
「蔵の里」オープン。年間観光客100万人突破
2005(平成17)
JR東日本が「あいづデスティネーションキャンペーン」第1回「喜多方レトロ横丁」が開催される
2006(平成18)
5市町村合併(喜多方、塩川、山都、熱塩加納、高郷)
2011(平成23)
東日本大震災
2014(平成24)
第10回「喜多方レトロ横丁」でラーメン神社登場